『交渉人 真下正義』

何をおっしゃるのやらと思われるかもしれませんが、私が映画にはまり出した時に劇場で見たのが踊る映画の第一弾でした。テレビシリーズからはまってしまって、細かなデティールや伏線や音楽などがぎちっと心にはまってしまって、劇場へは二回も足を運びました。そのため、踊るに関しては溺愛視線でしか見られなくなっているという自覚があります。
が、
今回のは逆色眼鏡を外しても楽しめるものでした。はまりすぎるとやばいと思いながらも、途中からそんなことどうでも良くなって、踊る世界に入り込んでいました。青島さんが出てこなくても、きっちりと踊るの空気感が出ていて、とても心地よかったのです。ああ、戻ってきた、という感じでした。
しかもこの作品は踊るシリーズを未見の方でもじゅうぶん楽しめるように仕上がっていて、ここからはまっていく人もいるだろうなあとも感じました。もちろんどっぷりはまっている人用にもお楽しみが用意してあるようで、最初はあんなに頼りなかった真下さんがしゅっとしたイメージになっていたり、テレビシリーズで出てきた人がちょこちょこいたり、古い映画の作品名が出て来たり、後はなぜか三谷さん作品に出てくる方々が出演されていてにやりと笑ってしまったりもしました。
電車が暴走して乗客がパニックになる描写など、あの事件を喚起させてしまうのが、作品から集中力をそがれてしまうので残念でもありました。それと私の隣の方々がいちいちつっこみや感想を口に出したりしていたためにあまり集中できなかったのが非常に残念です。
でも私が溺愛眼鏡をはずしてもまた新たな溺愛ポイントを突かれてしまったので、作品に関してはお手上げでした。働くおじさん、がんばるおじさん、あせるおじさん、格好良すぎます! 地下鉄センターの中にあつまるおじさんたちの姿が格好よくて、本編とは関係なくそれだけで涙が出そうになりました。
東京なのに東京じゃない、現実と虚構が交錯する中、地下鉄をTTRとしたり路線名を変更していたりする徹底ぶりにマニア心をくすぐるなあと思いつつも、南北線という案内表示が見えたりCGの限界を見て予算が足りなかったのかな、とふと現実に戻される瞬間が自分の冷静さを感じさせられて嫌になりました。せっかく楽しんでいるのに些細なことにこだわってしまうのは、よろしくありません。
愛眼鏡を外せば今までの踊るは非常にオーソドックスな話で、二弾に関しては誰かが命の危険にさらされるところをクライマックスに持ってくれば良いと思っている、というような斜めの見方もできました。エンターテイメントとして徹底していて、テレビの力をうまく使えてそれが興行収入にも結びついた作品でもあり、ファンを捜査員として作品に取り込むことで一体感も出せていました。などと、大いに語れるのも踊るの良さ。
映画版については、映画好きの人からすれば「ふうん」と思ったりもともと視野に入っていないものかもしれませんが、どんなに偏屈な作品を好むようになっても、私は第二弾の公開も今回の作品も楽しみにしていました。第一弾を一緒に見に行って楽しかったねと言い合っていた友達がまるで興味を示さなくなっても、私は踊るシリーズが好きです。なぜって言われれば、「エンターテイメントだから」としか答えようがないのですが、様々な要素を取り込みながら毎回進化していっているからなのだと思います。個人的には今回、ちゃんとした大団円ではなく少しの苦味を残しているところも好きだったので、余韻にひたりつつも後をひきずることができるのがちょっとうれしかったです。楽しかった、の一言だけではないのが今までのシリーズと違うところで、私好み。それとオープニングのキャストスタッフ名が出てくる映像もこれまた気に入ってしまって、ああこの映像切り抜いて持って帰りたい、と英語表記にひっぱられる日本語を見ながら強く思いました。

感想が散漫になってしまいがちなのは、踊るに関して溺愛眼鏡をはずしきれていないからなのだと思います。なので、次作の「容疑者 室井慎次」もわくわくしながら溺愛視線で見に行くつもりです。