『ミッシェル・ガン・エレファント "THEE MOVIE" 』*6

もっとスタイリッシュにした方がミッシェルらしいのかなと思いつつ、荒削りでむき出しのままの方が彼らの魅力がそのまま伝わってきて良かったのかもしれません。激しく動くフロアを微動だにせず、スクリーンと向きあって目に焼き付けてきました。ただのライブの記録だけではなく、ライブが抱える問題についても映し出していたのは意外でした。
高校時代、ライブによく行くくらい好きな友達がいたので、新曲が出てもお気に入りが「世界の終わり」のままだった私がライブに行くのは失礼だ、というよくわからない考えを持っていたので、彼らのライブを見たのはフェスだけ。今より若くて体力があった当時でさえもみくちゃにされて何度も倒されそうになり、よろけて地面へまっさかさまになる寸前のところで男の人にぐいっと引き上げられたのは初めてでした。激しく、でも優しい。それは音楽においてもそうでした。
ラストライブに行くのも失礼だ、という感覚だったので、セットリストも知らないまま現在まで至っていたわけなのですが、だからこそ最後の曲が「世界の終わり」だったことに、今まで押さえてきたものがあふれてきてしまいました。当時の感情が浮き上がってきて、目の前のスクリーンに映し出されているライブが過去のものだとは認めたくなくて、彼らのことを「好きだった」のではなく「好きなんだ」ということを嫌というほど思い知らされました。イントロだけであんなにもドキドキして、あんなにもひやりとするなんて。好きになる対象を人に限定してしまうならば過去となってしまうかもしれないけれど、音楽となるとそれはまた別で、たくさんのものを貪欲に好きでいられる自分がいました。
そして意外だった、ライブにおける問題。これは現在のフェスで禁止事項として挙げられていたりもしますが、フロアが盛り上がりすぎて天井のライトが落ちそうになってしまい、ライブを中止せざるを得ない状況に陥った彼らの映像は胸が苦しくなりました。ライブをやり続けたいのに音を鳴らせない、お客さんが動いたら最悪の事態も考えられる、だから演奏できる人もそれを聞く人もいるのに、頭を下げるしかない。フェスの映像でもお客さんが詰まりすぎて何度も中断する場面があって、そういうライブならば「参戦」という表記が似合うのだろうなあ、と様々に考えてしまうところもありました。
余韻が頭と心の中にずっと残っていて、電車ではなく駅から歩いて別の線まで行き、耳からは何も流さずただ白い息だけを吐いて彼らのことを思いました。もう二度と見られないライブ、もう一度見たかったライブ、くらくらするぐらい格好良い人たちのことを忘れていた自分は麻痺していたのかもしれません。