たまには真夜中のラブレター化現象。

漫画やアニメ、小説やゲームなどではよくあるはなし。もっと強くなるために仲間を置いていかねばならなかったり、たかめあう相手と組むしかなかったり、でもそれはおはなしのはなし。主人公は主人公ではなしは進んでいき、その回はとても胸を痛めるけれどだんだんと忘れていく。焦点が当てられる対象は決まっていて、その後は想像でしか存在しない。
そうではない、現実のはなし。なにかになる過程のはなし。主人公も焦点も一人が決めるのではなく、続いていくはなしの分岐点はどちらもたどっていくことができる。おはなしでは焦点が当たらない存在のその後を見ることもできる。でも、戻ることはできない。点だったものがわかれていって、同じものにはもうならない。
現実のはなし。それぞれに感情があって、可能性があって、過程があって、作り上げたものがあった。たとえそれが形に残らないものであってもその存在は知っているし、かつての記憶は奥底にねむっている。省略してしまえばなにもなかったのかもしれないけれど、その音はまだ耳に残っている。
めでたしめでたしで終わるおはなしではないので、現実はまだ続いていく。減ったのではなく抱えるものが増えただけ、ふくむものが多くなっただけ。はなしが本当かどうか、それはあと少し待てばわかること。つづく、つづく、放たれた線はそれぞれにつづいていく、だから私はそれにつらなるだけ。つながるだけ。