LIQUIDROOM 5th ANNIVERSARY

開始ちょっと前に着いたらフロアはゆるゆる、後方をつぶしていても余裕があって、こんな夢のようなイベントなのにどうして! と密かに憤慨したのですが、客層を見ると大分若かったので仕方がないと諦めました。


DE DE MOUSE
トップ! 四人! 生音! と驚くところが盛りだくさん。やっとライブを見られたと興奮しつつ、生のリズム音がずしずし来ました。DJというか機材をいじっているのが三人、うち一人が印象的なメロディーを鍵盤で弾いたりしていて、もう一人がパーカッション? DE DE MOUSE本人は機材をいじりつつノリノリで、思っていた以上に動きに切れがあって若かったです。左の手のひらを天井に向けてのっている姿は「雨の慕情」であめあめふれふれとやっているフリに似ていました。
音は結構激しいのに、例の子どもの声が流れてくると途端にやわらかになって、スクリーンにも抽象的な映像が流れていたりしたのですが、これがなぜだかわからないのですが感覚的に「若い」と感じました。やんちゃしているわけでもないし拙いわけでもない、でも私がよく見るタイプのVJの映像とはちょっと違っていて、キラキラしていたとしても全部しなやかさがありました。
最初は様子見だったお客さんも次第に揺れるようになり、それを見ながら「伝播」という単語が浮かんできました。MCも含めて若さを感じつつ、最近淡々とプレイするDJを見ることが多かったので新鮮でした。主催イベントにはwegなど見たい人たちがたくさん出るので行きたいのですが、残念ながらその日はメレンゲでした。


SLY MONGOOSE
もし次がサカナだったらお客さん帰ってしまうかも……と心配していたら二番手でした。ああああ、ささ、笹沼さんのあの低音による挨拶!
のっけから拍が取りにくい「Schizophrenic Debater」で、おじさんたちったらもう……と満面の笑みでへったくそに身体を揺らしてしまいました。唯一ミーハーになることを許している笹沼さんに釘付けで、今日は薄着なのかと思いつつ視線は指の方へ。お客さんたちはどうのって良いものか戸惑っているようでしたが、少しずつ動くようになってきたのでほっとしました。
「Snakes And Ladder」はやはり盛り上がっていて、でもライブでより映える「Mandragora」もやってほしいなあと思っていたら塚本さんのギターノイズ! わっはーわっはーと何も考えられないぐらいテンションが上がって曲にのめり込んでしまいました。ノリノリな感じの曲ではないですが、彼らのストイックさもほどよく出て、私の中での頂点がここになってしまい、おかげで後が大変でした。ただ一つだけ贅沢を言うなら、「THE GUNGOOSE」もやって腰砕けにして欲しかったです。
何度も笹沼さんの声を聞けて満足なのと、お客さんの拍手が思っていたより大きかったので安心したのとでしばらく放心状態。自制しようと思っていた二マンも行きたくなってしまいました。サカナ目当てのお客さんの中で引っ掛かってくれる人がいたら嬉しいですが、笹沼さんは渡しませんよ!


サカナクション
ライジングサンから帰ってきて、後悔しているわけではないけれど吾妻さんたちを見ておくべきだったかな、近いスパンで見過ぎかな、と首をかしげている状態でのライブだった上、「Mandragora」ですっかり心を持っていかれてしまったためにフィルターかかったまま見ているような感覚がありました。
内容はこの前のライジングサン+αという感じだったのですが、MCでも触れていたように野外ではなくハコだったので音が返ってきて一体感もありました。びっくりしてしまうほどの盛り上がり。そして「minnanouta」のところはきちんとリキッドルームと言っていたので、この前のは設定ミスでロッキンオンのものを入れてしまったのだろうという結論に至りました。ただ、わかったとしてもズコーとなってしまった事実は変わりません!
うれしかったのはライブ版を何度も聞いてしまった「夜の東側」をやってくれたことで、フィルターがかかったままの心でゆらゆらしつつ、この前良かった「ネイティヴダンサー」は拍手がうまくかみ合わなくて笑ってしまいました。
もやがかかったままステージを見ていた間、しっかりと音は聞いているのに別のことを考えていたりしたのですが、「カタルシス」についてあれこれめぐらしていたら、あっという間にアンコール。せっかく長めだったのにいまいち心がのっかれなかったなあとまだ引きずっていると、山口さんがMCで新曲について触れ始めました。
謡曲の要素が強いなあという印象だった新曲、歌詞はほとんど聞き取れなかったのですが、フェスで歌っていたのは仮詞のため、現在進行中で作っているとのこと。今のままでも悪くはないけれどもっと良くなるはず、と思っているので練り直したい、だから今日は新曲はやらない、ということでした。評判が芳しくないと言っていましたが、私は昨年「セントレイ」を初めて聞いた時に首を傾げることしかできず、それからじわじわと受け入れられるようになったので、曲のタイプが変わってきているだけというような気もします。「三日月サンセット」のようにイントロだけで引き込むのではなく、何度も繰り返すことで逃れられなくなるようなもの……になるかどうかは、詞が完成してからわかることでしょう。
ここで話されたホームとアウェイ、過去と現在についてのMCは自分の中でもやもやしていたことでもあったので、カタルシスカタルシスと頭の中でつぶやきながらきちんと意識をステージに向けました。
その代わりに演奏したのは、もう二度とやらないつもりだったらしい「GO TO THE FUTURE」。ここでフィルターがとれた感じがしたのは、気迫が違っていたからなのかもしれません。ステージから発されるエネルギーはずっと感じていたのですが、言葉に乗せられる感情が直に伝わってきました。「迷う」の強さ、それでも「行くしかない」と言い切る潔さ。最後まで聞いてやっと、響いてくるものがありました。