MOGWAI JAPAN TOUR 2006

抜ける予定はこのライブがあったからで、最初は11日の新木場に行こうと思っていたのですが追加公演が発表されたため渋谷から近いリキッドルームを選ぶことにしました。昨日の様子を見てみるとかなり良かったみたいなので、行っておくべきだったかなと思いながらも、今日は今日で大丈夫、と急ぎ足で会場へと向かいました。


開演少し前に到着して、当日券の販売もなく完売だったもののぎゅうぎゅうというわけではなかったので、後ろの段でゆっくりとステージ全体を見ることができました。男の人が多めで、外国の方も結構いるからか平均身長が高かったです。


Ratatat
オープニングアクトの彼らはリズムと電子音は打ち込みで、ギターとベースが生音、後ろのスクリーンには曲ごとに同じ映像が幾度も繰り返されていて、インストなのに踊れる音楽が奏でられていました。ベースが生音だったのが嬉しくて、たっぷりと一時間ぐらい彼らの世界にひたってしまいました。何度も同じフレーズが繰り返されて、そこから生まれてくる別のイメージをもてあそぶのが楽しかったです。


MOGWAI
言葉で表現するようなものは何もなくて、体感した、体験したとだけ言い置いて終わりにしたいのですがあふれたイメージがあったのでメモしておきます。後ろの方にいたせいか、想像していたほどの轟音、音圧ではなかったものの次第に追い詰められていくような、穴を一つ一つふさがれて呼吸が出来なくなっていくような、じわじわと音が押し迫ってくるような感覚は確かにありました。いきなりぐわっとくるようなものもあって、ストロボのフラッシュのような、まばゆい照明が連続してまたたいて聴覚だけではなく視覚までも惑わされてしまいました。ギターで轟音をかきならし出して「ああこの音!」と静かに興奮していたらその奥でドラムの方が優雅に水を飲んでいるのが見えて、そのギャップが面白くもありましたが、ずっと別世界へ連れていかれていたような錯覚がありました。唐突ではなく、知らないうちに今までとは違う場所にいるかのようで、「あれここはどこだっけ」と首をかしげてしまうようなことが何度かありました。曲を聞いているうちにいくつも景色が思い浮かびそうだったのですが、それは私の知らない場所だったので具体的なイメージとなる前に拡散してしまって、意味を持つと限定されてしまう言葉を嫌うように、音を一つの風景で縛りたくなかったのかもしれません。
なるほど轟音にもいくつか種類があるのだな、と彼らのライブを見てわかったことがあって、MOGWAIの場合は無音による轟音、というイメージが強かったです。昔胎内巡りで本当の無音になった場所で感じた、耳の奥の奥で響く大きな音、反響、脳内から生まれてくるような旋律の無い音たち。そんなものを実際に音源化しているようで、だからなのかうるさいと感じることはありませんでした。
終わり方も印象的で、音を鳴らしたままステージ上から去って行って、二人ぐらい残って少し操作をしてそのまま音が残っている、という状況で、客席は残された音を余韻としてではなく実際のものとして感じていました。ふと星のことが思い浮かんで、今はもうそこにはない星かもしれないものの輝きを受け取っているようなイメージがありました。誰もいないのに、どんどんと音は大きくなっていって、縛られたようにしばらく動けませんでした。本編のラストもアンコールのラストもそういう状態になってしまって、家帰ってから仕事しようと思っていたのにこれは無理だと現実に返ってしまいました。
そういえばライブ中に携帯やデジカメでやたらステージを撮っている人たちがいて、あまりにも堂々としていたので驚いていたのですが、ライブの模様を撮って僕らに送ってくださいというようなメッセージが柱に貼ってあったので、どうやら撮影可能だったようです。画面が光るとそちらに意識が向かってしまって、ほたるのようだなと別のことまで考えそうだったのですが、なるほどそういうわけだったのかと終わってから納得。私の携帯では暗いステージだと何か物体ある、という程度しかわからないので脳内の記憶を引き伸ばすことにします。


覚悟が出来るまでライブには行かないぞ、と思っていたはずなのに、覚悟のできないままなんとなく行ってしまったら耐性が多少できていたためか、自分自身が真っ白になることなく体感することができました。フロアの前の方に行ったらもっと音に圧倒されていたかもしれません。それでもあまりに濃すぎた異世界にいたせいか、HEART ATTACKがまるで昨日のことのように思えます。