いつ頃からだろうか、私は大衆心理や扇動者などに興味を持つようになり、ナチスドイツへと目を向けるようになっていた。何が彼らをそうさせたのか、どういう時代背景がカリスマ性を彼に持たせたのか、歴史は苦手なので細かくなればなるほど頭がこんがらがってくるけれど、不思議と興味は薄れないままでいる。宗教や差別などにも目が行くようになり、だからこそドキュメンタリーのものをよく見るようになったのかもしれない。
この作品は収容所に送られた子供にだけ焦点を当てているだけではなくて、収容所に送られる前に他国へ移送することを許されたユダヤ人の子供たちについても詳しく掘り下げていた。すっかり白髪になってしまった彼らから語られる話は現実のもので、戦時中の理不尽さなども多分に含まれているけれど、彼らを家族として受け入れた言語の違う国の人々についてのものが印象深かった。様々な角度からナチス時代について語られることが多かったけれど、思春期に入る前に両親と引き剥がされて赤の他人と暮らすことを余儀なくされた彼らはとても賢く、それと同時に哀しみもあわせ持っていた。
多くのことを語れるほど私は何も知らないし、感情と思考の整理もついていない。だから貪欲に様々なことを知りたいと思うし、この目で見てみたいと思う。ドイツへ私が行きたいのは、とても勇気がいるかもしれないけれど強制収容所に関する博物館を巡ってみたいから。収容所の本当に厳しい様子などが子供には見えないような展示の仕方がされていることを知って余計にそこの博物館へ行きたくなり、小川洋子さんの「アンネ・フランクの記憶」を読んでもっと興味がわいてきた。自分の中の何かが崩壊してしまうかもしれないという怖さがあるけれど、行かなければならないという脅迫概念のようなものも少しずつ、わいてきている。