『誰も知らない』 (→)

whose1004-11-26


ずっとずっと楽しみにしていた、是枝監督の新作。と言っても公開されてからかなりたっていて、シネ・ラ・セットでの上映も今日で最後だということで、数ヶ月前に購入した前売り券を使ってようやく見た。やっと見た。
是枝監督の作品は私にとってかなり印象深いものとなっている。最初に見たのは夜中にやっていた『幻の光』で、江角マキコがやけに艶っぽく見えた。それから『ワンダフルライフ』という作品を見て一気に彼の世界に引き込まれ、曖昧にぼかされる現実と仮想の世界にたゆたいながらも翻弄されるのが心地良かった。終着点を決めないままの『ディスタンス』は劇場で見て、ゆるやかに作品の世界に入っていった。作られたリアルであってもそれはリアルであって、自分の思い通りの展開になるように話を運んでいく時のように、うさんくささをはらみながら、それまでもがリアルとして描かれているようだった。透明な風景で、音楽がほとんど流れないことも彼の作品の特徴だった。劇場を出たらスタッフが監督の来訪を伝えていて、パンフレットにサインをしてもらいながら言葉にならない言葉を伝えた。気持ちを整理するまでに時間がかかってしまう私は、いつも何かを見た後に言葉を失ってしまう。

一年後、大学のとある授業のゲストに伊勢谷くんがやってくるというので、再び彼が出演している二作品を見返して驚いた。『ワンダフルライフ』、一回目に見た時はそれほどでもなかったのに、二回目見た時に泣いてしまった。感動とも違う、不意打ちをくらったような感情だった。回数を重ねたからなのか、年をとったからなのかわからない。でも私はこの作品の世界観がとても好きになった。だから毎年自分の誕生日に一枚買うことにしているDVDはこの作品にした。ふと思い立った時にこの作品を見て、毎回違う視点になっているところがおもしろい。

そして今度はどんな作品を作るのだろうと待っていた。監督がサイトで子供を題材にしている作品を作っている、ということを述べていて、季節ごとに撮っているということぐらいしか知らないまま、クランクアップの言葉を見つけた。やっと見られる、と思い楽しみにしているとカンヌで賞をとり、ひっそりとするだろうと予想していた映画館は満員となった。何度も満員で入れず、前売り券は財布に入ったままだった。受賞式の様子をテレビで見ていて、その言葉を聞いた時にうれしくもあったけれどくやしくもあった。

世間が騒ぎに騒いで、情報はたくさん入ってくるものの作品自体を見ていない私はなんだか取り残されたような気分になっていた。関連商品を見たらかなり好みのものだったり、違う映画を見に行けば予告編が流れてそれだけで泣きそうになってしまう。そう、確かこの作品は予告編がたまらなく好きだった。谷川俊太郎の詩にのせられた映像は透き通っていて、そこに存在している現実が浮き出てくるかのようだった。

本編を見たらどうしようもなく泣くだろうという予想をしていて、一日ずっとひきずってしまうことを考えていたので後の予定は何もない日に見ようと思っていた。けれど実際に見た今日、涙を流すことはなかった。想像していたよりも慈愛に満ちていて、ドキュメンタリー風ではあるけれど監督の包み込むような愛がしっかりと見えていた。
起こってしまった現実をそのまま描写したわけではないからどんな風に解釈しても良かったのに、話は淡々と進んでいき、ゆるゆると首を締められていく様子の子供達が映されていた。それでも季節は変わり、映し出されるふとした風景がとても美しかった。音楽のないままの会話、間は自分の記憶のどこかを手繰り寄せ、共感に似通った感情を呼び寄せては子供に自分を投影させていく。
配役について井筒監督は実際のYOUを知っているから、と言っていたけれど私は彼女の現実を知らないし、知ってたとしてもああいう風にいい加減ながらも愛を表現できる人を演じている女優として見えるのだから、それは見る側の問題、なのかもしれない。母親は子供を愛していて、子供も母親を愛している。会話の端々から仲の良さが滲み出ているし、子供三人の世界が部屋だけで完結しているというのも原因の一つなのだろう。外へ出た長男が得た初めての友達が家に入り浸る様子、そしてその彼等に気を使うけれど結局離れて行ってしまう様子はとてもとてもリアルで、学校という場がない彼は兄弟に目を向けるようになる。たぶん学校があったらもっとひどいことになっていただろう。

救いがなくは、ない。それがこの作品を見て思った一言。イメージとして長男以外は食べるものがなくなるか不意の事故によって……と思っていただけに、想像していたよりも厳しくはなかった。現実をベースにしていることもあるけれど、せつなくもありかなしくもあるこの作品を物語として作り出した監督が何よりも、あの少年を抱きしめてあげたかったと言っていることが、すべてを物語っているのだろう。ドキュメンタリーとドラマの境界線を行き来しながら彼の作品はつくられてゆく。一つ一つのシーンに輝きがあり、その情景は見るものに何かを思い起こさせる。静かであれば静かなほどそれは染み込み、見る度に色を変えてゆく。だから私は是枝監督の作品に魅せられ、これからも見ていくのだろう。

(エッセイ風)