似ていることを認めたくないけれど認めざるを得ない人の誕生日。今年も無事に過ごせて良かった、と自虐的に笑ったけれど、そういう風になったおかげで今の状況がある。
まずやめたのは煙草、アル中寸前まで飲んだ後はお酒、そして嗜好がガラリと変わってそれまで見向きもしなかった甘いものを好むようになった。ごはんを食べた後には必ずデザートだなんて、昔には考えられなかった。でも、そうなったからこそおみやげにケーキを買って帰ったりするようになったし、共通の話題もできた。
ひねくれたあの人を一番わかっているのはいつまでも少女のように笑い、何もかも許す人だった。隣でいるのは本当に大変なことだと、性格が似ている私でさえ思うほどなのに、付き合い方を心得ているようで手のひらで転がす余裕も見えた。
誕生日。あと何回迎えられるのかわからない、と助手席の人が言った。運転席の人は何も言わなかった。後部座席の私も何も言わなかった。その代わり、助手席の人は続けて言った。帰り道、我が家のお墓を見に行こう、と。
ホテルのブッフェは混雑していて、お腹がぺこぺこだった人は歩きまわって気を紛らわせていた。名前が呼ばれ、いつも行っているところより多少高級な料理が並ぶテーブルをまわった。食べ残さない宣言をした人は、ひとり一枚のローストビーフを食べきれず、残りを私が平らげた。もぐもぐしながらそういう人だよね、と隣の席と目配せし合った。
新しいティラミスが出てこない。ちょっと経って見に行って、ティラミスがない。子どもみたいにティラミスという単語を連発して駄々をこねる人は結局食べられないまま、多少むすっとした顔をしてプリンをほおばっていた。そんなあまいもの誰が食べるか、と数年前の彼が見たら言っていたことだろう。
デパートへ寄り、少々値の張る肉を物色していたら、お肉屋さんがきっぷの良い受け答えをしてくれたので「今日、誕生日なんですよ」と言うと、じゃあサービス、と値引きをしてくれた。そんな交渉普段はしないのに、なぜだか言いたかった。今日、誕生日なんですよ。
曇天の空の下、車は見覚えのある景色をいくつも通り過ぎて行った。街並みが多少変わっても印象はまったく変わらなくて、スピードがゆるまって「ここ」と言われてもピンとこなかった。犬と一度散歩で通ったことのある場所だった。
私とよく似た人から始まるお墓。ここに住み、ここで往くと決めたからはじまった場所。まだ売り出し中のそこは、半分程度しか埋まっていなかったけれど、高台になっていて見晴らしが良かった。
新しいお墓は地震対策のためか横型のものが多く、苗字ではなく好きな言葉が刻まれていたりした。近頃は表札の収集が趣味と化しているけれど、もっと年を取ったら墓場の収集をしてしまうかもしれない、と思ってしまうほど、表札と墓場は似ていた。今住んでいる場所にあるのが表札、そしてこれから先訪ねてきてもらう場所がお墓。
誕生日にまだ誰も入っていないお墓を訪ねるのは皮肉なのかどうか。生と死、両方について考えていたら大粒の雨が降ってきた。お墓の観察をしていた私は急いで車へと乗り込み、「ここに入ったらよろしくね」という挨拶を聞いた。
あと何回一緒に誕生日を迎えられるかわからないけれど、また来年もこうやっておいしいものを食べて、誰も入っていないお墓参りをしたくなった。まだ返せていないものがある、伝えられていないこともある。さて、次回はどこへ食べに行こうか。