Hurtbreak Wonderland

Hurtbreak Wonderland

聞いたらずぶずぶと世界に取り込まれてしまうだろう、という懸念があったので気になってもタワレコで見かけても避けていたのですが、新譜も出たし試聴もながら聞きできたし、きっと大丈夫だろうとたかをくくって寒い日に流すことを決心しました。結果、どういう心境になったかと言うと、ずるいずるいと叫びながらぽかすか叩きたくなりました。言葉で限定したくないけれど、でもうずうずしてしまって、おあずけをずっとくらっているような気持ちが続いています。
たくさんのイメージが浮かんではにじんで、色が混ざり合っていく、鮮やかだったものも他の色と一緒になることでにぶくなって灰色がかっていくかのよう。イメージのしみが大きなスクリーンやキャンバスの白い部分をどんどんと埋めていって、境界線が曖昧になっていく、侵食されていくような感覚がありました。風景が、記憶が重ねられて上書きされていくのに、それらはすべてひっそりと行われるので他の人に気づかれることはない。けれど自分だけはわかってしまうので、戸惑いながらも甘い錯乱に身を委ねてしまう。大きく激しいものではなくゆっくりとした動きで波を立てられているので、最初は自分がかき混ぜられていることにも気づかない、そういう酔い方。と、ついつい脳内で遊びたくなってしまいました。
うつくしい、ではなく漢字の美しいの方がしっくりきて、犠牲となる羊が目に見える形としてあるからこそ残酷さが浮き彫りになって、他にも荘厳、埋葬等々漢字がいくつも浮かんできたので、それらの単語をこねくり回すのが楽しかったです。
ライブはどうなのだろうかと気になって想像してみたのですが、スクリーンは脳の中だけで良いのかもしれない、という結論が導き出されてしまいました。演奏する姿も見てみたいし音に合ったイメージフィルムも似合いそうですが、頭の中ににじませてできた世界の方を見てみたくて、曲自体がたくさんの物語を内包している印象があるので、聞くたびに違って見える景色を味わいたくなりました。
映画的ではあるけれどそれだけでは表現しきれないもの、つまり規則もへったくれもない想像、空想の世界を描いているので目を閉じてその音に耳をすませたいという気持ちと、目を開けて他の人の頭の中に浮かぶ情景をスクリーンに映し出してもらって見てみたいという気持ちの両方があります。童話ではなく寓話、そんな世界に迷い込んでしまったため、ぽかすか殴りながらも他のアルバムも聞いてしまいそうです。