フリージア

フリージア

七月の終わりの土曜日は思うように気分を変換させて、夕方までの予定がシャワーを浴びた数分の間に入れ替わってその数分後には新たなことを思いついて却下して、また別のことを考えて舞い戻って白紙に戻して再び長考。来週ほとんどでかけることを考えて体をいたわろうという結果になって、ある弾き語りライブを諦めて地元をふらふらすることにしたら、自然と脳内に「フリージア」が流れ始めたのであわてて音源に摺りよせました。散りばめられた音の破片を手に取って暗澹たる気持ちになるわけでもなく爽快感を覚えるわけでもなく、晴れでもない雨でもない曇天の空の下、特徴的なギターの音とともに不思議と落ち着いた感覚が生じてきました。そういえば先週のライブに行けなかった、ということに気がついて、フェスではつばきとかぶっているので当日どうなるかはわかりませんが、後ろの方から何ともいえない気持ちを抱いた少女たちのことを見守りたくなりました。思春期の少女たちから発する、あのエネルギーは鬱屈していてもまっすぐでも輝いて見えて、その一部がアートの音楽には織り込まれているようで、私はいつくしみのようなものを抱いてしまうのかもしれません。
そんなアートの曲を聞きながら地元ルミネを歩いていたら、さんざん迷っているうちに実店にもネット販売店にもなくなっていた、ビルケンの欲しかったサンダルのぴったりサイズが定価の約半額で展示されてあったので、節約しようと思っていたことも忘れて即座に購入してしまいました。