一本の茎の上に

一本の茎の上に

以前から装丁が気になって何度も手にとっては棚に戻すという行為を繰り返していたのですが、この前なんとなく波長が合ったような気がしたので、目を通すことにしてみました。画像がでないのがなんとももどかしいです。昨日読んだ作品のこともあってあれこれとまた色々なことへ考えが旅立ってしまってさあたいへん、メモしておきたいことがこちらもたくさん出てきてしまいました。
詩人ということもあってか彼女の文はとても気品があって言葉遣いが美しく、口語になったものでも可愛げがありました。若い子たちがウェストと言っているけれど本当はウェイストが正しい、というような話において出てきた、「日本の女性は永遠に西の寸法を計りつづけるのか?」という表現には思わずふきだしそうになったり、葬式について自分は催して欲しくないと述べている部分で引用された木下順二さんの「永訣は日々のなかにある」という言葉にハッとさせられたり、なじみの無い言葉が出てきても配置が美しいので意味を類推するのも楽しかったです。また、原体験のことについて電気のライブで感じたことと重なってしまったり、漱石の散文が良い理由について口語体であっても文語体に等しい骨組み、つまり基礎として漢文が身についているからだと書いてあってこれも昨日の作品で漢詩について述べられていたのでめぐり合わせに驚いてばかりでした。うーん、この本欲しい。
以下、言葉遊びなので閉じます。

内容とはあまり関係のないことですが、作者の名前が茨木さんで、「いばらき」と読むところから連想して「茨城」が出てきて、今までは訛りの強そうだという印象ぐらいしかなかったのに「いばらの城」という地名なのだと思い直したらたいそう位の高い土地に思えてきました。他にも現在の表記における県名でどれが良いだろうかと考えてみて、「青森」も「青い森」でなかなか良いし漢字もほとんどシンメトリーなので見た目としても美しく、「千葉」もよくよく見れば「千の葉」、「愛知」はさんざん言われましたが「愛を知る」ですし、「香川」も「川が香る」だなんてちょっと幻想的でした。当然「東京」や「京都」と言った「京」の漢字がつくものも品格がありそうですし、変わったところでいうと「島根」は「島の根」でラーメン ズのアリスにてちらっと言っていたようにまさにラピュタの地でおもしろそうな名前でした。
しかし一番味があるなと思えたのはやはり「いばらの城」で、よく考えてみればその中には「日立」という日が立つという土地があって、「日が立つ」ということはつまり「音」となります。その「音」が来週たくさん鳴らされる場所は日立よりも少し下にある、ひたちなかというところで、平仮名表記ですが勝手に漢字にしてみると「日立中」つまり「音の中」になって、ここでフェスが開催されるのは必然だったのか! と頭の中ではキバヤシさんがおおげさに驚いたりする遊びをして一人にやにやしました。
また辞書遊びが復活してしまいそうです。