(一回書いたものが消えたのですがバックアップという素晴らしい新機能のため途中まで復元することができました。朝というか今でも恥ずかしい本音満載ですが、あくまでも自戒なので残しておきます。)
デフレスパイラル、なんて冗談を言っている場合ではなくなってしまいました。閉じる前にそれでも何とか本日の自分を表現するとすれば、口→凹→山という具合でした。
以下、文体を変えて自分に対する皮肉と戒めのためのメモ。
のはずが途中から帰り道に思ったことをなぞりながらも冷静になってしまったので、結論として「失敗したからライブに行きたいよー」という内容になってしまいました。


最近たわんでいると自分でも思っていて、気を引き締めないといけないと思い直していたところに、よりによって一番やってはいけないようなところにおけるミスが発覚。しかもそのミスをしたのは半月ほど前で、その時のことを思い出そうとも記憶は曖昧、さいわい最悪の事態にまでは至らなかったもののいらぬ労力をかけさせてしまうことになってしまった。いくら覚悟をしていたって、自分一人で責任をかぶるものでもないため、どうしても迷惑をかけてしまう。申し訳ない気持ちで謝罪の言葉を口にしても、それに対して相手が大丈夫だと受け答えてくれると知っているから余計に申し訳ない気持ちになってしまい、すみませんという言葉自体がどんどん、重くなる。

数日前からPBLの曲を聞きたくなっていて、でも耳にしたら誘発されてしまうものがありそうなのでしまっておいた。けれど今日ばかりは我慢できず、帰りの電車の中で流してしまった。止まらなかった。一ヶ月前は観念的なことで頭の中がたいへんになっていて、それを乱してほしかったけれど今回はそんな遊びをしている場合ではなく、現実問題として頭を抱えることが発生していた。ぐちゃぐちゃになりながら、様々な可能性を巡らせながら思わず現実逃避をしてしまいたくなったけれど、ことは波及していくし一回きちんと向き合って体験しておかなければ二の舞を滑稽にも演じてしまうことになる。感情に逃げ込んでしまうのは楽だから、浸っている場合ではない。けれど耳からするりと入って心をかき乱す音楽は景色まで揺らせてしまって、今日だけは自転車に乗る時も両方で耳を塞いでしまった。

明日のライブへ行くつもりはなかったけれど、この心の揺らぎを何とかしたくて彼らだけでも見に行ってしまいそうな気がする。でも聞いてしまうと音にすがってしまいそうでこわい。意味づけることなんて、関連付けることなんて簡単、だからすっぽりと空いた場所を音で埋めたくないし、塞いでしまいたい。二律背反な気持ちはせめぎあいながら乱雑な思考と見事に調和している。私は音楽がなくても普通に生活していける種類であるとわかっている、けれど感情に色をつけるときに音色が必要になって、その彩りを増やすために様々な曲を身体が求めるようになったことも頭のどこかでわかっている。
どうしてあの時気づけなかったのか、という自分に対するくやしさはしばらく消えないだろうし、この気持ちが風化してしまうこともわかっている。だからこそ記憶だけではなく音で身体と頭に染み込ませておきたいものがあるのかもしれない。泣くために映画を見る行為と大差ない。それでも音に依存してしまうようなことだけはしたくない。何度も「だから」と「だけど」の狭間を行ったり来たりして、まだ迷っている。どうするのかは明日のその瞬間までわからないし、明日は口にすればするほどに申し訳ない気持ちでいっぱいになる謝罪の言葉を本気で伝えなければいけない。許されることに慣れてしまったら終わり、ちくちくとした痛みはどこかに蓄えておかなければならない。慰めの言葉によってより一層心がいたむのも自戒、徒労かけさせてしまうのをただ待つことしかできないのも自業自得、与えられたものを完璧にこなすのが今やるべきこと。体調と天気だけで気分が左右されるのは、それだけ余裕があったということなのだろう。


どうしようもないことばかりがここ数日起こっているけれど、ただ一つ帰り道に助かったと思ったことがあった。電車に乗っていても自転車をこいでいても家に戻っても言い訳があったから、明日もきっと気兼ねなく顔を上げられる。真っ赤な目の理由、結膜炎になって良かった。