『きみに読む物語』(→)

試写会にて。劇場公開されてからだったら見に行こうとは思わなかった作品。いかにもな感動ものという宣伝がされていて、チラシを見てなんとなく話が想像できたのであまり期待せずに行った。が、自分でも驚くぐらいに泣いてしまった。泣こうと気負って行かなかった分、余計に不意打ちをくらった気分だった。自分のキャラには合わないけれど、この作品は是非見ていただきたいとおすすめしたくなってしまった。友達とでも恋人とでも一人でも、恋をしていてもしていなくても、年を取れば取っているほどに、作品の世界に入り込めるのではないかと思う。「きみ読む」なんて略されているので、「なんだよ」と思う気持ちはよくわかる。でもそのこっぱずかしさを一瞬だけ我慢して劇場に入ってもらいたい。とは言っても、もし私がこの作品を見ていない状態で友達に勧められたとして、見に行ったかどうかは、もったいないとしか言いようがないのだけれど。

以下内容について触れるので、これから見ようと思った方はまた後で。




話の筋としては感動ものの定石をいくつも並べているので、泣いて当然というところもある。回想録、身分差の恋、ところどころに散りばめられた伏線とそれらが少しずつ繋がっていく様子。素直に感動できない私はいつも、感動ものと呼ばれるものを見た時に涙を流したとしても「ありがち」という言葉で感情を落ち着けようとする。でもこの作品は「ありがち」の先を行っていた。
同じ世代の恋愛は気恥ずかしいので、老人同士のものが好みなことも関係していたのかもしれない。愛というものを正面から描いていて、見ている私も気恥ずかしくなったけれど、少しずつ繋がってくる伏線が思い通りの展開になり、その上で「痴呆」というキーワードが重くのしかかり、クライマックスへ向かうにつれて期待もたかまっていた。たぶんクライマックス部分で終わっていたら私は人に勧めずにいたと思う。
自分たちの恋愛を聞かせることで彼女に思い出させようとする主人公。その思いが報われて彼女がすべてを思い出し、感動する場所があるのだけれど、「この前は五分だった」という台詞でその奇跡が一度だけでないことを知る。そして起きた奇跡はすぐに輝きを消し、彼女は彼のことを忘れてしまい、他人と認識する。今まで盛り上がってきた部分が一瞬にして崩され、そこの描写から私は涙が止まらなかった。過去が現在とつながる瞬間に流れ出した涙は、まだ言い訳ができた。でもそれからの部分については何も言えやしない。
ラストにかけての部分もいわゆる「感動もの」と言われる作品とは少し違う描き方をしていた。しあわせの続きにあるもの、そしてそのさらに先にあるもの。頬を伝う涙が唇に流れこんできて、口紅の味がにじんできた。静粛で神聖で美しくもある彼ら二人の姿は、この前見た『ロバート・イーズ』のラストにも重なって見えて、ずるいとさえ思ってしまった。
そして家に帰って今まで「感動コメントなんて見ても」と思っていたチラシを何気なく見てみたら、そこにある二人の姿にまた涙が込み上げてきた。なんて美しいのだろう。映画を見た後にもう一度、注意深くチラシを見れば一層世界に引き込まれることと思う。深い愛なんてわからないし、一生に一度その人のことだけを好きになる経験なんてたぶんできない私でも、「感動」という言葉以外はあてはまらない状態に陥ってしまった。
あれほどに劇場で泣いてしまったのは初めてかもしれない。家だったら人目もはばからず、号泣していただろう。その時の環境や気分に左右されている部分もあったにせよ、この作品を見られたことに感謝したいし、人に勧めたくなった。言葉を扱っているのに、忘れていく老人の姿が描かれている『アイリス』も気になっていたままなので、今度レンタルしてこようと思った。