抑えていたはずなのに防ぎきれなかったアナログ欲。「ナイトライダー」を聞きたかったのにCDが見つからず、最古と最新の音源を入れて強風にあおられながら流していたら、何度も何度も聞いているはずなのにまたしても「Sayonara 90's」で泣きそうになってしまいました。せっかくチケトアルヨーというありがたい話をもらったのに行けなさそう、行けてもアナログがトップのような気がするので聞けなさそう、という状況だったので気持ちもたかぶっていたのでしょう。
音源ではなくライブバージョンの方を聞きたくなって記憶を頼りに口ずさんでみたのですが、出てこなくてもやもや、そして明日も行けないのでもやもや。合っているのかわかりませんが、「あの頃ぼくらが思い描いていた未来(世界?)とずいぶん違ってしまったけど」と「どこに行ったんだHOPE」の間が埋められません。
この曲の持つ力というのは彼らと同じ世代だからこそ発揮されるものかもしれなくて、自分たちの年代について誰か語ってくれないかな、分析してくれないかなという気持ちがあります。明確さのない狭間の中で中途半端にしか思えない位置から見えるもの、そこにいた人たちが表現するものを見てみたいという気持ちもあります。そしてこの曲は音源よりもライブでいきるもので、最近ではステージだけではなくお客さんを含めたフロアと一体になって世界を作り出していると思うようになりました。ライブを見て手を挙げたり声を出したりするのには気恥ずかしさ故の抵抗があるのですが、「Sayonara 90's」に関してだけは自発的に声を出したくない、ということで黙ったままでいます。答えは単純、かっとばされたいからです。ステージから展開されていってフロアに繋がって発される「かっとばせー!」という声は、私の中にある何かを吹き飛ばしてくれるので、自分で声を出すよりも他の人に頼りたいからなのでしょう。今現在おおいにかっとばされたいのですが、明日は行けなくて行ったとしたら「信」を失ってしまう……と考えたところで言葉遊びが始まってしまい、「信」は「人の言」で「嘘」は「口の虚」で、口から出る言葉に虚があるのだから「信」=「嘘」か! とわけがわからなくなってしまいました。
スケジュールとにらめっこして、無理をすれば京都に行けなくもない、でも「信」をなくすわけにはいかない、でもかっとばされたい、と悩みを抱えながら今日も静かに作業を進めました。センチメンタル来訪。