GREATEST HITS

GREATEST HITS

不意に聞きたくなったのは、季節のせいなのかいつかの記憶のせいなのか。検索してみたらちょうど一年前ぐらいにもこのアルバムを聞いていて、自分の中に特別なスイッチでもあるのではないかと勘繰ってしまいました。
無意識のうちに聞いていた頃はただ耳に入りこませていただけだったのですが、よくよく味わってみると好みの要素がたくさん詰まっていて、聞いていたから好きになったのか、こういうものが好きだから聞いていたのかよくわからなくなってしまいました。そしてやっぱり「20th Century Flight」は切ないような、胸の奥の方が締め付けられるような、何とも言えない気持ちになります。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

自分勝手でちょっと情けない男の人たちが出てくる短編集。現実なのか架空なのか考えたり、あれとこれに繋がりがあって読み返したり、なるほど噛みごたえのある作品ばかりでした。その中で何故だか何回も戻ってしまう描写が「城の崎にて」にあったので、メモしておきます。

 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程そのままになっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。

後にも描写が続いていくのですが、どうしてかこの部分が気になって気になって、スケッチの美しさにひかれたのかもしれなくて、主観と客観のバランスが上手いなあと打ち込んで文章をなぞると改めて感じるものがありました。

心地良い風を受けて、我が家の植物スペースを眺めていたら、蜂や蝶に混ざって何匹もの蜻蛉が羽を休めていました。数日前のことを思い出して人差し指を伸ばしてみたら、いぶかしむことなく飛び移った蜻蛉が一匹。他にも飛んでいたので、今度は左手もかざしてみたら、そちらにも一匹。と、左手の方はすぐに飛び立って他のところへ止まってしまいました。
右手の彼はいったん指を離れても、しばらくするとまた私のところへ戻ってきて、格好が決まらなくて止まりなおしたり、歩いて場所が変わろうとするとこっちへ来いとでも言う風に同じ場所に留まっていたり、次第に愛着が沸いてきてしまいました。最初から高いところに止まっていた彼のため、抜けるような青空へ人差し指を高く掲げて天を突き刺して、別れを惜しみながら飛び立つように促すと、しばらくしてその場で一番高い、車のアンテナへと居場所を決めたようでした。
まるでペットのように何度も舞い戻ってきた彼を気にしながら買い物から戻ってくると、坂の上から見えた夕焼けグラデーションはパステルカラーでした。